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野塾練試情報刊

シーカヤック・スキー・登山・キャンプなどを通じて、友達の輪を広げよう。

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観光系から実証系へ その7

観光系の方が、自分たちも実証系の世界に、憧れ観光系から抜け出して実証系の世界へ入って行きたいのであれば、その為の方法論はひとつしかありません。それはどんな方法かは、既に書きました。それ以外に方法はないのです。毎週地道に錬成を重ねていくしかないのです。「ローマは一日にしてならず」ではないですが、実証系の一番美味しい部分を味わうにしても、そこへ至るプロセスも大変重要です。
その実証系の一番美味しい部分だけを味わうために、日頃の錬成やパドル習熟のプロセスを省くために、フェリーや伴走船を利用するというのは、全く以て問題外です。いや大問題かも知れません。何故なら、いくらフェリーや伴走船を利用したからと言っても、その美味しい部分あるいは領域はあくまで実証系のエリアであって、観光系シーカヤッキングのエリアでは決してないからです。

また一方では、「観光」と「実証」に関して、人々の様々な現象を観察していくと、不思議な現象が見られます。コレは本当に不思議というか呆れてしまいます。色んな意味でビックリします。日頃はカヤッキング中に、ビール等のアルコールを飲んだり、フェリーを利用して、初心者を危険エリアでパドリングさせたり、地元ではほとんどカヤッキングの実践活動をされていない方々が中心になって、毎年初冬になると、強風波浪に立ち向かう行事が開催されます。この人達の行動を良く観察すると、あることに気が付きます。

この人達に共通したあることと言うのは、カヤックについても、海についても、自然の脅威についても、自分たちが人間であると言うことも、カヤッキングの指導方法も、瀬戸内海でのカヤッキングの楽しみ方についても、地元のカヤック乗りの真面目に取り組む活動にも、全く気が付いていないということです。恐らくは、自分たちにも「実証系以上の凄いことができる」ということを、強風波浪に立ち向かうことで証明したいのかも知れませんが、やっていることは、迷惑行為以外のナニモノでもないのです。カヤックに乗って「初冬の強風に立ち向かう」ことが如何に愚かな行為であるかが、分からず「文化論」まで持ち出すほど、思考機能が低下していることを、どのように評価するのかは知れませんが、ラジオや新聞が、全く意味も分からず、報じている点は、まさしく現在の自民党麻生内閣のテイタラクと如何にも連動していて、吐き気がする思いです。

コレに絡んで、少しカヤックと風について、お話したいと思います。まずどんなに優れたカヤックに経験を積んだパドラーでも、水に浮かんだカヤックに乗っている以上は、強い弱いを問わず、カヤックは風の影響を受けます。そよ風でも影響を受けます。特にバウやスターンが空へ突き出ていたり、ボリュームのあるカヤックは、そよ風でも影響を受けます。横から吹いてくると、通常カヤックは風が吹いてきた方向へバウを向けようとします。強い風が正面から吹いてくると、なかなかカヤックは前進してくれません。コレが強風波浪状態ですと、ほとんど前進しません。カヤック経験が20年以上のワタシでも、僅か1kmの海を渡るのに、30分もかかることが何度もありました。時には、全く前進しないこともありました。カヤックというのはそういうモノで、どこから吹いてきてもその影響をモロに受けます。この強い風に向かって漕ぎ進むと言うことは、一見勇気ある行動のように受け止められがちですが、コレはむしろ慎重に入り江内や穏やかな海を選んで注意深くパドリングする観光系シーカヤッキングから抜け出るどころか、更に逆行する行為でしかありません。つまり「観光系シーカヤッキング以下」の危険行為の側面を持っていると言わざるを得ません。

この説明でもよく分からないと言う方おられるかも知れませんので、ひとつ良い具体例がありますので、書いておきましょう。もう10年くらい前になりますが、東京農大で山岳部に所属して、卒業後は農業生産を資本主義的手法で発展させ、津山の奥で、将来を見込まれ、30才で某大手の技術開発部長の要職に付き、週末は瀬戸内海にカヤック修行に来ていました。現在は、ニカラグアでこれまた先進的な農業を営み世界的な貿易を楽しんでおられると聞いています。彼の体力は普通の人間の能力をはるかに越えていました。勤務中でも昼食は5分で、残りの55分は鉄アレイを持って、職場の近隣を走り回っていました。(そう言えば、今もそんな方が明石の方におられますが・・・)そして、身体はゴムのように柔らかく、瞬発力は豹のように素早かったことを、今でも明確に記憶しています。

ワタシが10年かかった技術習得を彼は、僅か半年でマスターして、自分の艇も購入して、真冬の日本海へもひとりで出かけていました。強風と激波でカヤックが撃沈して、ラダーブレードが垂直にひん曲がったこともありました。髪の毛や眉毛が寒さで、樹氷のようになった写真を送って来たこともありました。普通そうした海へひとりで出る場合には、「やめんさい」と中止勧告を出しますが、彼にとっては、日本海の激波の世界が楽園にしか見えないことが、ワタシには分かっていましたので、「気を付けろよ!」の言葉をかけるだけでした。その彼が始めてCSCに来た年の、年末年始に、1週間ほどの遠出をすると連絡がありました。もちろん備讃瀬戸を基点に、太平洋まで行って戻って来るというのです。彼なら危ないとは思いませんでしたが、連続する強風波浪で前進を阻まれ、戻って来れなくなる可能性があるので、中止を勧告しました。もし戻れなくなると、ビバークポイントまで我々が迎えに行かなくてはならなくなるので、中止を勧告したのです。

もしも強風波浪でカヤックを進めることができなくなっても、自力で戻れるルートを紹介したら、彼は潔く「ハイ分かりました。」と答えて、予定日には自分の行きたい太平洋へ出かけて行きました。太平洋まで到達した時点で連絡が入りました。もう少ししたら帰りますと。

続く
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category: シーカヤック

tag: パドル習熟 指導法 文化論 観光系 実証系

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